春宵(5)

今日も秋の空は澄み渡り、お庭の紅葉がまばゆいばかりでございます。
さりながら乳母の心は晴れるどころか暗く沈むばかりでございます。
このところの若君の心にいかなる魔物が棲みついたのでございましょうか。
今日も今日とてなよなよと、まるで姫と見紛うお姿。
 
今は亡き奥方様は絹織物で名高いさる雄藩の姫君。亡きお殿様へのお輿入れの砌、花嫁行列は姫君のお衣裳を詰めた長持ちが延々と続き、今でも語り草になっているほどでございます。
約やかなお暮らしぶりの奥方様は姫様時代のお召し物も愛着の念去りがたく、年に一度の虫干しは欠かされたことはございません。奥方様亡きあとも、乳母が大切にお手入れしてまいりました。
その煌びやかなお衣裳をまさか若君がお召しになろうとは…亡き奥方様もさぞや草葉の陰で肝をつぶしておいででしょう。
姫君ならいざ知らず、文武に秀でた若君が長い裳裾を引きながら、色鮮やかな友禅の袂を翻して腰元どもとお戯れとは乳母は開いた口が塞がりませぬ。
かつての頼もしい若君のお姿はどこへいったのでございましょう。
朝は木刀の素振りで一汗流し、午までは書見に勤しみ、午過ぎからは道場に足を運び、剣の修行に励まれておいででした。
その凛々しいお姿に接する度に、行く末はさぞやご立派な藩主にと乳母は心強く思ったものでございます。
 
それにつけても恨めしいのは悪家老の御城代様。並ぶ者なき権勢にものを言わせ、お世継ぎの若君を廃し奉り、あろうことかその若君に綺羅を飾らせ枕席に侍らすとは。
弱肉強食は世の習いとは申せ、哀れなるは若君さま。
悪家老の邪な欲望の餌食となり、凛々しさの中にも妖しさを秘めた色小姓姿、裾を引いた役者のような女形姿、果ては白無垢の花嫁姿にと若君は様々な姿の綺羅をまとってお寝間へ召されました。
 
綺羅を飾ったそのなめらかな練り絹にはきっと魔物が棲みついていたのでございましょう。
無限に連なる紗綾の連理には人を引き付ける妖しさが潜んでいると申します。
若君はそのぬめぬめとした綸子の小袖に棲む魔物の虜になってしまわれたに違いありません。
まだ幼さを残す元服前の若君には魔物の誘いに惑うのも無理からぬこと。
さりながら賢明なる若君のこと、いずれは正気を取り戻されることと乳母は信じております。
 
秋の陽は釣瓶落としと申します。抜けるような青空もいつしか茜色に染まり今はもう冴え冴えとした星空が広がっております。
今宵も御城代お渡りの由にございます。
そろそろお支度にかかる頃かと存じます。
近ごろの御城代のお好みは白塗りのお化粧にございます。
肌理細やかで一点のしみもない若君の肌に白粉など無粋と存じますが、御城代のご意向とあれば致し方ございません。
さあ若君、それでは目をおつぶりください。こうして顔全体から首筋へ、衣紋を深く抜きますので背中までたっぷりと水白粉を塗りましょう。
剥き卵のようになったお顔に魂をお入れしましょう。
柳の葉のように黛をお引きします。
薄い唇にぼってりと紅を差すとお人形のようなお顔が出来上がりました。
御城代差し向けの新しいお寝間の衣装も届いておりますれば、お着付にかかりましょう。
今宵のお寝間の衣装は本紋地綸子躑躅引き振袖三枚襲でございます。
こちらの銀色佐賀錦の丸帯がこの華やかな色無地振袖を引き立ててくれるでございましょう。
こうして大きめの文庫に結んで差し上げます。
 
おお、錦絵から抜け出たようなお姿とはまさにこのこと。
白塗りのお顔が躑躅色の華やかなお振袖に映えて、妖しいほどの美しさにございます。
夜の帳も下りて秋の夜長の幕が開こうとしております。
乳母が手蜀なとお翳しいたしますゆえ、ゆるゆるとお出まし下さりませ。