春宵(10)

若君さま、この度のこと誠におめでとうございます。
この日のくるのを乳母は何度夢見たことでございましょう。
こうして藩主の座につき威厳に満ちた若君のお姿に接し、乳母はこれに勝る喜びはございません。
これは私としたことが申し訳ございません、もはや若君ではなく堂々たる藩主、お殿様にございます。
さりながらご幼少の頃からお側近くお仕えして十数余年、この乳母の心には若君の俤はそのまま生きております。時折若君と口走るのをどうかご容赦くださりませ。

 

それは春間近というのに、小雪の舞う底冷えのする宵でございました。
すべてはいつもの通り静寂のうちに時は過ぎていったのでございます。
宵闇迫るころ、乳母は若君のお寝間のお支度にかかったのでございます。
その夜のお寝間の衣裳は亡き奥方様ご愛着の薄紫綸子に秋の色草を染め抜いた友禅の引き振袖三枚襲でございました。
奥方様御形見をその身にまとうことで、必ずや奥方様のお加護が・・・そう信じて若君にお着せ申したのでございます。
これまで振袖袴の色小姓姿、白無垢の花嫁姿、大振り袖の姫君姿など数々のお寝間の衣裳にその身をやつし、恥辱の褥を重ねておいでの若君でございましたが、その屈辱も今宵限りにございます。
しかし気を緩めてはなりませぬ。若君の手弱女振りに磨きをかけ、御城代の魂を腑抜けにして最後のとどめを差す、それが乳母の思いでございました。
最後に白塗りのうなじを大きく見せて金襴の丸帯を胸高に締めて差し上げたのでございます。
そして文庫に結んだその帯の羽根に懐剣を忍ばせたのでございます。
これがあの怒濤の政変劇の序章でございました。
お支度整った若君と乳母は改めて目顔で事の成就を誓ったのでございました。
決意を胸に秘めた若君の妖しいまでの凄艶なお姿は今でもこの乳母の目に焼き付いております。
その身を飾る艶やかなお振り袖とはいえ所詮はお寝間の衣裳、足袋を履くこと叶わず、素足の若君は暗く冷たい廊下に長い裳裾を滑らせてご城代のもとへと赴いたのでございます。
そして乳母がご寝所の襖を引くと同時に、待ちかねたように若君は中へ引き寄せられ、三枚重ねの分厚い裾はもつれながらお寝間の中へ引きずりこまれたのでございます。
乳母はそっと襖を閉めると、控えの間へと下がり待機したのでございます。
息苦しいほどの沈黙のながれるなか、およそ小半時も経ったころ、ご寝所から突如断末魔の叫び声が上がったのでございます。
若君の振り下ろす懐剣がご城代の心の臓を差し貫いたのでございました。
間もなくご寝所の襖が荒々しく開くと、返り血を浴びた長襦袢姿の若君が飛び出してきたのでございます。
そして一言、
『やったぞ』
そう叫んだのでございます。
それを聞いた乳母は一目散に別室に走ったのでございます。
そこには改革派の若侍が今や遅しと待ち構えていたのでございます。
若君ご城代を誅殺の旨伝えると、若侍たちはかねて手筈のとおり伝令として同志の集結するそれぞれの要所へと散ったのでございました。
そして一斉に改革派の狼煙が上がったのでございます。
家老二人をはじめ城代派の重臣たちは、城代誅殺の報に接するとある者は抵抗し、ある者は戦意喪失したのでございます。
抵抗する者たちは惨殺され、恭順した者たちは捕縛されたのでございました。
明け方までには大方の決着が付き、改革派の勝利に終わったのでございます。
しかしここに至るまでに長い間の周到な準備があったのはいうまでもないことにございます。様々な困難を乗り越えた末この日を迎えたのでございました。
殊に城代派の監視の目を逃れ改革派の同志と繋ぎをとるのは至難のことにございました。
反城代派の家老との面会の必要に迫られた若君は自ら腰元姿に身をやつし、下屋敷を抜けたこともあったのでございます。

こうして藩を揺るがせた政変は終息に向かったのでございますが、藩を私し、藩政を歪めた城代家老一味の処分にも若君は迅速に対処し、藩の窮地を救ったのでございます。
城代家老に味方し、藩政を私した家老二人は切腹のうえお家断絶、その他一味の重臣は入牢吟味のうえ適宜な処分が下されたのでございます。
また、ご城代の妹で亡きお殿様の側室、および仮初の藩主に祭り上げられたその子の処分につきましては様々な意見が飛び交ったのでございます。
本来ならば重き罰に処せられるべきところ若君の格別のお慈悲により死一等を減じ領外追放となり、お二人は遠戚を頼って西国へと旅立ったのでございます。

それからほどなくして早春の柔らかい日差しのもと、亡きお殿様奥方様の眠る墓前に額づく若君の姿があったのでございます。
そして月命日には菩提寺において盛大なる法要が執り行われたのでございました。

ここにようやくこの乳母も肩の荷を下ろし、ほっと安堵したものでございました。
もういつでも奥方様の元へ行ってもいい・・・そう思ったものでございます。
しかしどうやらそれは乳母の早とちりのようでございました。