裁縫依存症

若いころから体を動かすことが好きで家でじっとしているのが苦手だった。
休みの日には森の中で木を伐ったり、重機で切株を掘り起こして整地したり、小屋を建てたりとそんなことばかりやってきた。
しかし寄る年波には勝てずというか、最近外での活動は徐々にきつく感じるようになってきた。同時に昔はあれほど好きだった重機の運転やチェーンソーを操ることにもそんなに魅力を感じなくなってきた。
 
そんな時何気なく始めた裁縫がことのほか好みに合って、今では一番の趣味のようになっている。
着物を縫うことの面白さに惹かれ、あれこれ仕立てているうちすっかりその魅力にはまってしまった。
道楽でやっているのだから適当にやればいいのだが、凝り性の性分が災いしてついついのめりこんでしまう。一枚仕立て終わるとまた次を仕立てたくなるのだ。
始めは生地調整とか柄合わせとか裁断とかの面倒な作業が続くのでマイペースなのだが、縫いが始まると徐々に気合が入ってくる。
袖を縫って、身頃が縫い終わるころになると出来上がった姿が頭をチラチラとかすめ、一刻も早く縫い上げて着てみたくなる。
こうなると最初ののんびりペースはどこへやら、一気に完成まで集中することになってしまう。
ともかくそうやって仕立て上がった着物に初めて袖を通すときは何にも増して至福のひと時だ。この時のために一針一針縫い進めてきたと思うと感慨も一入だ。
その時はそれで大いに満足なのだが、その満足は長く続かない。
二、三日もするとまた次のものを縫いたくなって落ち着かないのだ。
かくして一週間もしないうちにまた次の仕立てにかかるという訳だ。
いつも何かを縫っていないと落ち着かない…これはもしかして禁断症状か。
とすればはこれはもう裁縫依存症とでもいうほかないだろう。
 
同じ依存症でもアルコール依存症や薬物依存症に比べれば実害は少ないと思うが、裁縫ばかりしていたのでは他にしなければならないことがおろそかになってしまう。
それにそんな沢山着物を仕立てても着る機会もないのだし、保管場所にも困ってしまう。
とは言いながらこれから出番を待っている反物がまだ10本近く控えているのだから、この悩みは当分尽きそうもない。

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 そんな訳でこれがつい先日出来上がった紫無地の振袖だ。
生地は本紋柄の紋綸子を薄紫に染めてもらったものでしっとり滑らかな手触りだ。
総絵羽の振袖ような華やかさはないが、やさしい薄紫の色合いの中に本紋の地紋が綸子特有の光沢を伴って浮き出し、ちょっといい雰囲気で気に入っている。

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