素人和裁の楽しみ

退職してから暇ができて裁縫をよくするようになった。
特にやろうと決心して始めたわけではないが、よく着る着物のほつれを縫ったり、寸法を直したりしているうちに針と糸に馴染んできて簡単なものなら縫えるのではないかと思ったのだ。
ちょうど寒くなったので綿入れの半纏がほしくなってネットでいろいろ見てみたのだが、なかなか気に入ったのがない。
そこで自分で縫ってみようと思ったのがきっかけだ。
和裁の独習書を参考に、手順を追いながら仕立ててみると、何となく出来上がった。
着てみると絹の肌触りが優しく、ふんわりと軽くて暖かいのでに気に入った。
これに気をよくして綿入れの着物や振袖など次々に縫った。
 
普通和裁を始めようと思ったら基礎からやるのが順当だろう。
どこかの講座を受けたとしたらまず運針をいやというほど練習させられ、それから浴衣へと進んでいくのだろうか。それから袷、単衣、襦袢…何事もこのように段階を踏んで学んでいくことが結局近道なのだろう。
自分の場合いきなり綿入れから始めてしまった。綿入れなど順序からいえば最後の方だろう。もっとも今は綿入れなど着ないから教えるところもないだろうが。
技術的には綿入れはそれほど難しいとは思わない。表と裏を別々に縫って間に真綿を引き、小袖綿を入れてとじ合わせるだけだ。手間は非常にかかるが…
むしろ絹の薄物などは繊細な技量が必要で難しいだろう。
昔からものを作るのが好きで、いろいろな物を作ってきたが最後に行き当たったのが着物ということか。
 
DIYのいいところは作る楽しみとそれを使う楽しみ両方を味わえることだ。
例えば家具にしても焼き物にしても、丹精込めて作ったものを自分のために使うのは大きな楽しみだろう。しかし何といっても出来上がった時の達成感が一番ではないか。その満足感を得るために作るといっても過言ではない。
しかし着物の場合は縫い上がったものを着る楽しみが一番だ。苦労して縫い上げた着物に初めて袖を通すときのわくわくする気持ちは何と表現したらいいのだろう。
アドレナリンが最大限に分泌される瞬間だ。
苦労して縫ったといったがそれは言葉の綾で、縫っているときはむしろ楽しい。
着物の場合普通裁断、標付け、縫製という過程を経るが、何といっても裁断が一番神経を使う。
一度鋏を入れたものは元へは戻らないので、裁断はプロでも緊張するそうだ。
標付けもまだ不慣れなのでとても神経を使う。
標付けは土台のようなものなので、しっかり確実にやっておかないと縫っている途中で辻褄が合わないことになる。
小学生程度の算数が出来れば十分なのだが、数字に弱い自分は時々計算違いをやらかし、とんでもないミスをすることがある。
計算能力に関しては小学生以下ということか。
標付けが出来ればもう半分以上はできたも同然だ。
あとは標に従って無心に針を運ぶだけだ。
 
一枚の細長い布が大小様々な部分に切れ分けられる。
それらが縫い合わされて身頃となり、衽が付き、両袖がついて最後に衿がついて一枚の着物となる。徐々に着物の形になっていくのは楽しいものだ。
和裁は長い年月を経て先人たちが培ってきた技術だ。日本の伝統文化素晴らしさの一端に触れる思いがする。
 
そんなわけで最近振袖を一枚縫い上げた。
振袖は基本的には袷の着物と同じで特別なことはないのだが、絵羽模様なので、模様合わせに神経を使う。
初めて本格的な振袖を縫ったのだがあまりうまくいかなかった。衽と身頃の模様が一センチもずれてしまったのだ。
かなり慎重に模様合わせをしたつもりなのだが、素人の悲しさ、どうしてもこんなミスをしてしまう。
まあでも、人に見せるわけではないからといつもの言い訳をする。
実際着心地に影響あるわけではないのだから。
 
一見普通の振袖だが、自分なりのこだわりを持って縫った。
袖と裾のふきには綿をたっぷり含ませて昔風に仕立てた。繰り越しも多めにとって衣紋を抜きやすくした。
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昔風にこだわるなら是非下着をつけて二枚襲にしたいところだ。昔なら晴れ着は一枚とうことはなく二枚襲、三枚襲にしたはずだから。
あとで下着も縫ってみようかとも思う。
 
今風のきりっとした着装も洗練された美しさがあるが、ぼってりとしたとした緩やかな着物も大好きだ。
そんな思いもあって昔風に仕立ててみた。

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